藤田ニコル、いつも男性と女性の評価で大割れ。

 

 

藤田ニコルを過剰に持ち上げる女子の心理

 

 藤田ニコルほど、女子が気軽に可愛いと評価を下せるモデルは、

あまりいないような気がする。

 

男性目線からすると、

モデルとしてではなく、

その辺にいたらそこそこ可愛い様な気もするんだが、

比較の問題として、

TVなどのメディアで他の芸能人と並んで見かけると、

あまり可愛いとは言い難い。

 

単体でメディアに露出すれば、問題ないのだろうが、

役割としてTVなら、ひな壇芸人と同列の扱いになって、

それも、評価を下げる一因だろう。

 

枠としては、りゅうちぇると同じくファッショナブルな珍獣の扱いで、

番組構成にアクセントを加えるが、

露出の時間が増えすぎると、アクが強くなりすぎるという所だろう。

 

口さがない男子からの評価は、強欲な壺と言われたりしているが、

一般的な男子からの評価としては、

 特にどうとも思っていないと言うのが実際の感情に近いだろう。

 

これに対して、

女性があまり可愛くない女性を過剰に持ち上げるという行動にでるのは、

自分の心の平安を保ったまま褒められる、自分以外の女性の顔という、

やや、うがった心理構造と見ることもできるのだが、

 

社会性やコニュニケーション能力という観点から見れば、

女性の方が優れているとも言える。

 

取り敢えず、よく分からないものは、

褒めて、その方向で同調しておけという考えは、

社会生活を円滑に進めるためには基本的かつ重要な、

コニュニケーションスキルと言える。

 

コミュ障でボッチで困ってるなら、

褒めて同調することができれば、

何となく、その場に馴染んでる感じは演出できる。

 

つまり、女性の方が社会性や組織の中での立ち位置の確保が、

得意な傾向があるのだけど、

実際の会社組織などに置いては、

女性の進出が上手く言っていないという実情がある。

 

これまでが男性社会であったというのも原因だろうが、

これには他にどう言う原因があるのだろうか?

 

女性の社会性と社会進出

 

女性の社会性というのは裏を返せば、

それは建前の世界になる。

 

つまり相手を立てることによって成立する関係性になっているのだが、

このままの場合だと、

一歩踏み込んだ関係の構築にはつながりにくい。

 

ややもすれば、幼稚とも取れる

他者批判の同調をする事によって成立しやすい男性系の社会とは、

噛み合わないというか、一歩引いた感じに見えてしまう。

 

まあ、女性同士なら、

他者をボロカスに言ったりして、ストレス発散をしているはずだが、

そう言った、本音の部分が見えてこないと、

 

やはり、異質な存在のままになってしまう。

つまり男性の中にいる、お客さんとしての女性という距離感のまま

縮まらない事になる。

 

ただ逆に、女性のコミュニティの中に、男性が入り込んだ場合に、

男性が本音で、顔見知りの他人の悪口を言えるかというと、

難しいような気がするので、

 

これは、女性特有の問題ではなく、

異性のコミュニティに入り込んだマイノリティは、

本音で語ることが難しいという話の様な気もするが、

 

これが上手くできないと、

女性が男性社会の中で出世をしていくのは難しいままだろう。

 

逆に、女性が男性社会の中で本音の付き合いができる様になりさえすれば、

根回しやら、地ならしは、

女性の方が得意だろうから、

女性の方が出世しやすくなっていくかもしれない。

 

 

 

 

 

いしだ壱成の離婚へつながる妻へ7つの要求…守れないと激怒

離婚と7つの要求

 

いしだ壱成が2度目の離婚をしたようだが、

本人が原因と思っている

妻への7つの要求が結構ブッ飛んでる。

 

  1. 毎朝コップ1杯の水を用意させる
  2. 次に白湯(さゆ)を飲ませてもらう
  3. シャワー中にバスタオル、洋服を準備させる
  4. サラダを食べる際に7種類のドレッシングを用意させる
  5. 帰宅時に45℃のお風呂を準備させておく
  6. 風呂に入っている間に洋服を洗濯機に、カバンを部屋に運ばせる
  7. カバンからその日の領収書を取り出して、まとめて精算しておく

 

これらのルールを守れない場合に、

激怒したらしい。

 

ルールを設定することに潜む危険性

 

いしだ壱成の顔から見られる傾向としては、

そこまで被暗示性が高いようには見えないのだが、

 

いずれにせよ、

集団にルールを作り、守らせる事と、

象徴やリーダーを配置することは、

 

集団を維持運営する上での、

洗脳効果が高い。

 

嫁さんは被暗示性が恐らくかなり低いから、

抜け出せたのだろうが、

このパターンで、激怒した後に優しく慰めるなんて事を、

繰り返していれば、暗示効果はますます高くなって、

 

本人の意思では抜け出せないような状態になっていたかもしれない。

 

ロールプレイの問題点

 

この仕組の問題点は、

いしだ壱成側に、恐らく悪意はない。

 

ルールを作りルールを守らせるという、

ロールプレイをしていたのだが、

その自覚も無いだろう。

 

本人はルールを守らせることが快感だと感じていたようだが、

ルールを守らせることが責務であると感じだして、

ルールを破られると、コントロールできない怒りを感じ始めると、

ロールプレイによる洗脳の完了段階になっている。

 

このタイプのロールプレイによる、

自縛系の洗脳は、暴走族やらパワハラ系の上司などに見られる傾向なのだが、

パワハラ系の上司というのは、フォローがないから、

ただただ嫌われていくというパターンにハマりやすいので、

組織力の強化にはつながらない。

 

ただし、パワハラ上司は、パワハラ上司というロールを演じている内に、

自己暗示が進んでしまって、

自分では抜け出せなくなっているのがほとんどだろう。

 

いしだ壱成もこの傾向だと思われる。

 人間は、仕事にせよ人間関係にせよ、

何らかの役割を無意識に演じる傾向があり、

その傾向を強くしてしまう、いくつかのパターンがある。

 

それが上手くプラスに働く環境であれば良いのだが、

マイナスに働くものであったとしても、

一度、習慣化してしまったロールプレイからは、

なかなか抜け出せない。

 

いしだ壱成、元夫妻も外敵が設定されていれば、

このロールプレイがもっと強固に機能していたと思われるが、

支配と被支配というロールだけでは、

支配する側だけの自己暗示効果が暴走するという良い例かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

真木よう子、主演ドラマで大コケも坂上忍に擁護される。

 

 

真木よう子、主演ドラマ「セシルのもくろみ」が事実上の打ち切りとなり、

その責任を主演女優に押し付ける体質に関して、

坂上忍が苦言をていした。

 

ドラマが始まると番宣として、

主演俳優や女優をバラエティに引っ張り回して、

メディアに露出させるだけさせて、視聴率が悪かったら、

アイツでは、もう数字取れないな、

は無いんじゃないの?というお話。

 

まあ、ぶっちゃけ演技力の問題もあるのかも知れないけど、

真木よう子の演技がそんなに酷いのかというと、

そんな事は無いだろう。

 

某ジャニーズのトップアイドルの演技も大して上手いわけじゃないのに、

長い間、数字を取れていた事実があるので、

 

脚本、キャストの配役、監督の責任と、

宣伝戦略の失敗もあるはずなんだけど、

 

まあ取り敢えず誰かが責任を取る必要があって、

その場合に、事務所の力が弱かったり、落ち目だったりすると、

叩きやすいと言うだけだろう。

 

坂上忍真木よう子の擁護に回っているということは、

「セシルのもくろみ」の監督や脚本のバックグラウンドは、

あまり大御所ではないと言うのが透けて見えるので、

 

そう言う意味では、

坂上忍は芸能界のパワーバランスを計るモノサシとしては、

かなり優秀になる。

 

後まあ、多少視聴率が悪いからと言って、

スグに打ち切りにするから、余計ダメだと思われる。

 

通年通してやるとか、続編をやるとかして、

長くやれば、長くやるほど、固定のファンは着くはずで、

固定ファン層を掴むための時間を掛けられないからと言って、

 

爆死するかも知れない、新ドラマに挑戦し続けるという

バクチを繰り返すのと、

どっちがリスクが高いのかは分からない。

 

どうせ今の時代、

スグに忘れられてしまう&視聴率が取れないなら、

少なくても固定ファンを獲得していく方向性の方が、

良いような気もする。

 

海外ドラマだと、シーズン10とか普通にやってる訳だし、

固定ファンを維持しつつ、新規を獲得できるような、

話の構成に切り替えて、新規ファンも昔のシリーズを見たくなるような、

方向性も模索した方が良い。

 

 

 

成宮寛貴、本名を使ってhiroshige_narimiya(平宮博重)インスタに降臨

 

Back to home:) #narimiya #home #hungry #ただいま

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色々な所で、色々な迷惑をかけて芸能界を辞めていったであろう、

成宮寛貴こと平宮博重が海外で活動を再開し始めているようで、

若干話題になりつつある。

 

急な芸能界引退に関しては、薬物疑惑程度で自ら手を引かざるを得なかったのか?

別の原因があったのかもよく分からないが、

諦めない事は、素晴らしいと思う。

 

誰しもが、若気の至りやら失敗の経験くらいあるはずだが、

こと薬物に関しては、日本のマスコミの叩き加減は過剰というか、

不倫報道と一緒で、他にネタは無いのか?と思われる。

 

 

報道と言うか、ジャーナリズムというか、

日本に関わらずなんだろうが、悪いものを叩くのが、

真の報道と言うような、ロールプレイが散見される。

 

何かを叩き続けることによって、

その存在意義を内外に知らしめている内に、

何かを叩かなければならないという制約を自らに課してしまうという、

無意識の自己暗示がされているんだろうが、

 

ともすれば、過剰な私的制裁になりかねないこともあるだろう。

 

芸能人が薬物に手を出した場合の社会一般への影響力を考えたら、

叩くのが正義なのは、間違いないのかもしれないが、

もう一度、立ち上がるところの方が重要なのでは無いだろうか?

 

悪いことをする奴がいたから、

情報を使って叩きのめして社会的に抹殺できたらスッキリ、

では、私的制裁と変わらない。

 

とは言え、実際の所、マスコミで扱えるトピック的には、

視聴率やら収益性を考えれば、

より過激な報道、他局より過剰に叩く事が重要になっていくのは、

構造的にはしょうがない。

 

結局の所、マスコミが営利企業である限り、

この構造は変わらない。

ただし、まあNHKが防波堤になっているとは言い難いので、

 

企業構造の問題点もさることながら、

ロールプレイによる自己暗示の方も、かなり強いんだろう。

叩いている内に、叩くことが自分の使命と錯覚するというか、

思い込んでいまう性質は、

 

個人よりも集団の方が強く働くし、

叩くことで得られる一体感も

また無意識に自己暗示を強くしていっていまう。

 

 

結局の所、真実の報道なんてものは、

幻想に過ぎないのだろう。

 

 

元SMAP関連?「新しい地図」と『クソ野郎と美しき世界』って何?

新しい地図」は、元SMAP稲垣吾郎草なぎ剛香取慎吾のファンサイトで、

『クソ野郎と美しき世界』は、そこで制作発表された映画の事らしい。

 

ジャニーズという大手事務所を辞めた事は、別に良いんだが、

このマーケティングは、

良いのだろうか?

 

恐らく、スマップの名前を出すことは出来ないだろうから、

苦肉の策なのかもしれないが、

 

それなら、新しいグループ名を付けた方が良い。

(出所不明だが「KIK」という名前が出たことはあるようだ。)

 

集団に名前を付けるということは、

集団と、その他を区別する境界線になっているんだけど、

〇〇ファンクラブと言うものを形成して、

 

ファンクラブの一体感や、共感を集めるような、

イベント(コンサートや映画etc)を繰り返せば、

ファンクラブの会員の一部は、

 

信者に成長して、

集団拡大のための布教活動に入るという傾向が見られる。

 

この過程は、集団の拡大期における重要な、

役割を果すのだけど、

グループ名がないと、

集団とその他を区分する明確な境界線がないため、

その効果が弱まる。

 

言ってしまえば、グループに属する仲間と、

そうじゃない別の人間と言う、擬似的な敵味方を演出することで、

 

集団や仲間に対する帰属意識が生まれやすくなる。

ファンクラブの一部が親衛隊とかを結成しだすと、

その効果は更に強くなるんだけど、

親衛隊は今じゃ流行らんだろうという問題がある。

 

まあ今更、新規ファン層の拡大が必要な事もないだろうから、

あくせくしてないだけかも知れないけれど、

 

アイドルや歌手、スポーツチームが持っている、

ファン層の構造が、だいたい同じになっているのには、

機能的な役割による原因もあるので、踏襲した方が良いものもある。

 

『クソ野郎と美しき世界』と言うタイトルに関しては、

映画が完成するまで、何とも言えないんじゃないの?

と言う話になる。

 

タイトルはもっと暗示的で簡潔な方が良いような気もするけど、

最近のラノベやアニメは、やたらと長いものも多いから、

タイトルだけで、内容が分かる様にするというのも、

 

ひょっとすると、今後の時代の流れとしては、

あるのかも知れない。

「先に生まれただけの僕」における、櫻井翔VS高嶋政伸

一部で櫻井翔の演技が酷くて、高嶋政伸の演技に飲まれていると、

叩かれているようだが、

 

嵐やSMAPに代表されるアイドルというのは、

その仕事というか人生そのものが、

演技になっているだろうから、

 

既に自分の一部と化してしまっているであろう、

アイドルとしての自分という役柄と別に、

 

別の人格を演じるというのは、

ハードルが高いのかも知れない。

 

役者であれば、

多数の人格を演じるというのが仕事なので、

元からそう言う問題意識を持っているし、

切り替えるという事に慣れやすいのだろうが、

 

アイドルは、どこに行っても、

プライベートは少なく、ふいに声を掛けられたとしても、

アイドルであるキャラクターを演じる必要があり、

 

役者と違って、人生の大部分で、

アイドルという一つの役柄を演じ続けるという事になる。

 

これはロールプレイという観点から見ると、

かなり強力な、刷り込みであり心理誘導になっている。

 

 

恐らくだが、演技が苦手なタイプのアイドルは、

この演じているはずの疑似人格であるアイドルとしての自分と、

本来の自分との境界が曖昧になってきていて、

 

新たな役を演じるにしても、

常日頃、演じているアイドルとしての人格が邪魔になってくるのだろう。

 

そしてアイドル以外のキャラクターを求められると、

アイドルとしての演技を引きずってしまうか、

棒読みの大根役者になりがちなんだのだろう。

 

ちなみに、怪演と表現された、

高嶋政伸の演技も、

シスコンの宿泊施設職員を演じていた頃は、

大したことは無かったので、

 

櫻井翔もドラマに多数出て、

役柄を切り替えるのに慣れれば、

芸能人としての人生は長いだろうから、

いずれは大物の役者として大成するかもしれない。

 

と言うか、

本人自体が、そんな事望んでるのか?と言う問題もあるか。

紗栄子の子供たちと、イギリスの名門校の裏口事情

紗栄子の子供たちが、そうとは言い切れないのだけど、

 

イギリスやアメリカの名門校には、

普通に裏口入門がある。

 

金持ちのボンボンと、超優秀な頭脳がくっついて、

新規事業の創出にお金が回る仕組みができていると言う建前が

アメリカではあるようだが、

 

イギリスはそんなに、

先進技術立国だというイメージはないので、

単なる方便だろう。

 

イギリスは、やはり階級社会なので、

上流階級の子息は、いい大学を出るという、

ステータスが必要になってくる、

その需要を満たすために、ある程度の枠が確保されているのだろう。

 

 

アメリカでは、もっと大っぴらに、

裏口入学を扱っていて、

レガシーと言われたりする。

 

寄付金が多かったり、

有名人の子息だったり、

政治家の子息だったりしたら、

レガシーを使って優遇を受けられる様になっている。

 

このレガシーというのは、

和訳すると遺産とか、受け継ぐものという意味があるのだが、

学歴というステータスを受け継がせるのも、

ある意味、教育なのかもしれない。

 

しかしながら、レガシーには、

プラスの意味合いだけではなく、レガシーコストなどの、

使い方もあり、負の遺産も含まれたりする。

 

レガシーコストは、企業などが成長するに連れて、

しがらみや、受けた恩義を異常に長期間に渡って返し続けたり、

取引が長いと、多少高くても、取引を止められなかったりなどの、

企業経営から見た上での合理的でない支出の事を指していて、

良い物ばかりだけではない。

 

紗栄子が子供に受け継がせるべきレガシーは、

学歴よりも、

彼女の向上心というか、上昇志向の方だとは思うが、

 

ひょっとすると、

子供に超英才教育を施して、10歳にも満たない子供たちが、

英語の難関校を普通に合格するほどの、

学力を有しているのかもしれない。

 

ただし、彼女の子供たちに対して与えようとしている、

レガシーは、

彼女自身のステータスを彩らせるためのものか、

それとも、彼女の子供の人生を彩らせる為のものか?

によって、子供たちの将来の人格形成に関わってくるだろう。

 

親が自分の人生を輝かせるために、

子供たち本人が望みもしていない、

海外の学校に入学させるなどの、

子供の人生を振り回すような事は無いと信じたい。

 

しかしながら、

彼女の有する、人に愛されるという才能や、

常に上を目指し続けるというメンタリティの方は、

学校では教えてくれないし、

生きていく上では、学歴よりも重要なものなので、

 

そちらの技術やノウハウを、

子供にレガシーとして受け継がせたほうが、

子供たちがより豊かな将来を迎える事につながる可能性は高い。